母は結婚しても幸せになると思わなかったそうです。

83歳の母に聞いてみました。

「結婚すると幸せになると思ってた?」

「え~~~?何それ?」

「お母さんはどうだったのかと思って・・・」

「そんなこと、全然思わなかったよ。」

だと思います。

田舎でのんびり事務員をしていた女性が、お見合いで気に入られたからって、突然名古屋の下町の6人兄弟の長男のところに嫁いできたんですから。

家族は舅、姑、若夫婦に弟1人に妹4人(小姑)となります。

家はうなぎの寝床のような縦に長い町家で、三軒長屋造りになっていたので横面に窓は無く昼間でも電気無しでは暮らせません。

お庭が広く、日向ぼっこできる一間の縁側がある、田舎の家とは大違い。

昔の事なので、部屋と部屋の仕切りは襖か障子、プライベート感ゼロで、一番下の妹はまだ小学生だったそうです。

彦根城
―先日 私、姉、一番下の叔母、母、姉  彦根城―

「どうして結婚したの?」

「どうしてって言われても、、、あんな暗い家イヤだって言ったけど、みんなが結婚を勧めてくれたもん。」

それだけではないと思いますが、バラ色の結婚生活を夢見て結婚したわけじゃ無いようです。

都会と田舎で生活環境がまったく違い、知らない人だらけの中に放り込まれた新婚生活ってどんな感じでしょう?

お見合いで、付き合いもそこそこの父をそこまで愛していたワケでも無さそうですし。

スタートラインがそんなんで、期待していたわけでもないので、父のちょっとした優しさや、(夕飯の片付けが済むと、自転車に二人乗りして近所の商店街につれ出してくれたそうです。)子どもが生まれる事などに、幸せを見つけていったんでしょうね。

私が物心つくかつかないかの頃、まさかの脱サラで印刷屋さんを自宅で始めた父。

それを苦労と思っていたのかどうかはわかりませんが、私が小学校の頃の母は、夜まで手ざしの印刷機で名刺を刷っていました。

専業主婦だった母には思いもかけないことだったでしょうが、良いも嫌も無く父に従っていた母でした。

黒いものも白だと言わせ、気に入らないことがあると一週間でも口をきかなくなる父は、自分の事を良い意味の「亭主関白」だと思っていました。

50年以上しっかり連れ添い、父がなくなった後ひとり暮らしになった母は、冗談とも本気ともとれる「ひとりになって好きなことができる今が一番幸せだわ。」と言っていました。

0点よりも低いマイナスから初めて、少しずつ点を積み重ねていく結婚生活。

母は辛いこともいっぱいあったと思いますが、父との結婚生活で、その中からも幸せを見つけて積み重ね、80歳を越して自分の中の満点に近づいているのだと思います。

大恋愛の末結婚して、バラ色の結婚生活が待ち受けていると期待して、100点満点から結婚生活をスタートしたとしたら。

愛してると言ってくれなかったらマイナス、帰りが遅かったらマイナス、食器洗ってくれなかったらマイナス、イクメンじゃなかったらマイナス、給料上がらなかったらマイナス、前みたいに優しくないからマイナス、となってしまいます。

結婚はひとりでは経験できないことを、信頼するパートナーと共に経験し、一緒に自分を深め豊かな人生にしていくことです。

スタート時点の考え方でまったく違う捉え方になってしまいます。

時代が違うので、母のようなことは今はないかと思いますが、期待しすぎないのも小さな幸せが見つけやすくていいかもしれません。

こうあるべきだと決め付けないで、二人でコミュニケーションをとりながら、ゼロから素敵な家族をつくってください。

これから結婚する人も、結婚している人も、共に生きていく人がそばにいてくれるだけで幸せなんです。いっぱい幸せ見つけて加点していってください。

夫婦問題相談室 リボーン

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